横浜市会議員(3期12年)を振り返る!→そして、次の挑戦へ!
- 横浜市会議員(3期12年)を<概略年表>で振り返る!
1期目
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○ 2011年 横浜市会議員に初当選
○ 東日本大震災(3.11)の1ヶ月後に初当選 |
2期目 | ○ 2015年 2期目の当選
○ 市民・文化観光・消防委員会 委員長 ○ 健康・医療委員会 副委員長 ○ 健康づくり・スポーツ推進特別委員会 委員長 |
3期目 | ○ 2019年 3期目の当選
○ 健康福祉・医療委員会 副委員長 ○ デジタル化推進特別委員会 委員長 ○ 政策・総務・財政委員会 副委員長 |
2011年3月11日。大きな被害となった「東北大震災」発生の翌月4月に初当選させて頂きました。そこから3期・12年間。市民の皆様、住民の皆様の代表者・代弁者として、長きに渡り仕事をさせて頂きました。
- 12年間のトピックス(特に直近・4年間)
○ 初当選の半年前(2011年10月)から街頭活動スタートこの12年間、街頭活動(市政レポート配布など)を継続実施
○ 3期目の当選直後、突然倒れ、2回の手術→4ヶ月の長期入院Stay Home(=病院)&2ヶ月の絶食で体重は▲20kg減 ○ 「まさか」の出来事から後遺症なく完全復活→議員活動を再開 ○ カジノ(反対)署名を20万筆集める(→その後、条例案が議会で否決) ○ 新市長誕生(2021年8月)で、横浜へのカジノ誘致STOP ○ オペラハウス整備検討中止、中学校(全員)給食の実施、デジタル化推進、小児医療費の無償化(中3まで、所得制限・一部負担なし)など困難と言われていた政策が実現へ |
人生突然何が起こるかわかりません。前回の3期目の選挙当選(2019年4月)直後。突然倒れ、2回の手術→4ヶ月の長期入院。わかりやすく言うと「あちらの世界の入口を見る」究極の体験をしました。「一歩間違えばどうなっていたかわからない!」あぶないところまで行きました。が、そこから奇跡的に完全復活し、現在、議員活動を問題なく再開しています。
臨死体験をしました。が、そこから生き返る事が出来たのは、政治家として「使命」があったからだと考えています。その「使命」の1つが、横浜へのカジノ誘致の問題です。
- 横浜へのカジノ誘致の問題
政権与党が全力で進めてきた「横浜へのカジノ誘致」の問題。その当時、「絶対に止められない、止まらない」と言われていました。我々はこの問題を止める為に、住民投票を求める署名活動を行いました。法定必要得票数の3倍を超える「20万筆超」署名が集まりました。が、この署名に基づく「住民投票の条例案」は議会で否決されました。市民の声が握りつぶされてしまった瞬間です。
残念ながら、「20万筆の署名」(=市民の声)は、議会で否決されました。が、最終的には、立憲民主党が擁立(推薦)した山中竹春・新市長が誕生した事により、「横浜へのカジノ誘致」は「即刻中止」となりました。
わがまち横浜では「まっとうな政治」が機能したのです。
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